優速のミトコンドリア・イヴ


■優速のミトコンドリア・イヴ~序文 FMO-417  2023.03.15.

 

 先月からずっと掛かりきりになっていた主題をようやく書き始めることができました。

 これまで何度か言及したことがあるのですが、拙著『スーパーカー誕生』は、ある意味でその領域における仕事の成果をまとめた卒業論文のようなものだと思っていました。正式な論文の型式はとっていないので卒業研究と言ったほうがいいのかもしれませんが。

 そのつもりで書いたので、以降、そこからはみ出したあまり知られていない高性能ミドシップ市販車のことを拾遺風に綴ったことはありましたが、本筋となるあれはあれで完結した仕事だという認識でおりました。

 ところが、そこからさらに掘り進めることができる資料が見つかってしまったのです。おれに対する挑戦かこりゃあ。こうなったら仕方ねえ。書くしかねえだろ。そういう心持になりました。本文のおしまいに書いたように著名チーフエンジニアの指揮下で腕を振るった無名の男たちについて書くのがもう半ば責務じゃないかと。

 そういうわけですから言ってみればこれは学卒論文に対する修士論文みたいなものかもしれません。そしてこの修士論文にはスーパーカー界のスーパースターも超有名人もほとんど出てこないでしょう。もはや売文として一般的な市場性はほとんどない。少なくとも商業誌が喜んで載せてくれるような原稿ではない。でもFMOの会員さんのような知見と思考のレベルの方々であれば、きっと愉しんでいただけるんじゃないかと思っております。つまり皆さんのような読み手がいらっしゃるから書くことができる原稿なのです。幸せ者ですねおれは。

 などと妙なアオリをしつつ今回は序文ですので短くてごめんなさい。たぶん10章くらいの続き物になると思います。幕間に何か別の書き物を挟むかどうかは考え中です。

 それから、本邦の自動車メーカー内における学歴差の実情について、また高専の現状ついて、知識や体験をお持ちのかたがいらしたら、教えてくださいまし。


■優速のミトコンドリア・イヴ~第一章「AAC」 FMO-418  2023.03.31.

 

さて『優速のミトコンドリア・イブ』が本章に入りました。本章とは言っても、アウト・アヴィオ・コストゥルツィオーニ815はフェラーリの前駆として割と知られている競技車輛。何をいまさらと感じたかたもいらっしゃるでしょう。それでも815の技術構成の詳細はあまり書かれないことが多いので、判っている事実をきっちり記したくなったのです。その上で、これにまつわる三人の技術者のことを書きました。

 もう想像がついているかたも多そうですが、『優速のミトコンドリア・イブ』は『スーパーカー誕生』のようにドラマチックな展開にはならないでしょう。人のお話を軸に淡々と進んでいくと思います。スタンダール『赤と黒』みたいな19世紀の小説のようなペースでとでも言いましょうか。ちなみに今のところの心づもりだと章立ての数は12くらいになりそうです。今回の第1章は第二次大戦前のお話しですが、最終章は20世紀の終わりが舞台になるでしょう。


■優速のミトコンドリア・イヴ~第二章「マセラティ」 FMO-420  2023.04.20.

□アルベルト・マッシミーノのマセラティ

□ジョアッキーノ・コロンボのマセラティ

□ヴィットリオ・ベレンターニのマセラティ

□強敵

□迎え撃つマセラティ

□ジュリオ・アルフィエーリのマセラティ

 

 『優速のミトコンドリア・イヴ』第二章は第二次大戦直後から1950年代にかけてのマセラティが舞台でした。実を云うとここから核心に入っていきます。フェルモ・コルニ高専で優速の遺伝子情報を植え込まれた無名の現場技術者たちが縦横に活躍することになるのです。

 と、ここで大卒の工学博士たちも含めて大勢の人々が行き交うことになります。となると頭になかなか入ってこない。実はおれ自身もそうでした。そこで整理するために、縦軸に人名を、横軸に西暦年をとって、各メーカーを色分けした年表をエクセルで作りました。それを画像化してサイトに掲載します。中高のとき歴史の授業で使った副読本の年表みたいに使って下さったら嬉しいです。またこの年表は右端が今年2023年になっています。言い換えれば『優速のミトコンドリア・イヴ』の最終章までフォローします。ですので、この重いお話の行先の案内図にもなるでしょう。デスクトップPCなら二窓で、タブレットやスマートフォンならテキスト用の機材と別のものに表示するなどして、年表と見比べながら読み進めて下されば幸いです。

 で、その年表に註釈をひとつ加えなければなりません。フェラーリの表記です。第二次大戦後にエンツォはフェラーリの看板でレース工房としての旗揚げをしたのですが、それは表に見える絵柄であって、関係官庁に登録された法人名は1960年5月22日までAuto Avio Costruzioniのままでした。それが1960年の7月にSocieta Esercizio Fabbriche Automobili e Corse(略称SEFAC)という名の組織に替わり、さらに1965年11月からFerrari SEFACとなり、エンツォ逝去後の1988年12月にFerrari S.p.Aになりました。ですが法的正確性を求めても分かりにくくなるだけなので、年表ではアルファロメオにフェラーリ名義の差し止めがされていた時期をAuto Avio Costruzioni、解禁されてからはFerrariとしました。

 ええとそれからW196や250Fの図版も挙げておきます。トランスアクスルのくだりなど文章が何言ってるか分からなくなったときなど参照してみてください。


■優速のミトコンドリア・イヴ~第三章「赤龍伝~序」 FMO-433  2023.11.27.

 

 少しお休みしていた「優速のミトコンドリア・イブ」を今号でまた書き始めました。お話の視座は第二次大戦前から、いきなり大戦後に移って、今回からはATSのお話です。かつて『スーパーカー誕生』を著したとき、意を込めて書きたかった主題のひとつがATSでした。

 ATSは鳴り物入りでレース界に飛び込んできたのに、たった1年で空中分解した超マイナー集団だから、資料がほとんどない。市販ミドシップ史上初組の一角だったATS2500GTなんて日本の自動車メディアではカーグラフィックを筆頭として完全に無視されていた。まだインターネット上の記事も極薄だった。仕方なく2500GTの試乗テストが載っていることを発見してロード&トラックのバックナンバーを海外オークションで落としたり、本文中にも触れた『Modena Racing Memories』を始めとした往時のイタリア自動車レース世界について懐古した周辺資料も集めました。そうしてATS概要が掴めたときはなかなかコーフンしたもんです。

 とはいえ全体の構成バランスてえもんがありますから『スーパーカー誕生』ではあまり文章量を割り振ることはできませんでした。そうするうちにミカエル・J.・ラッザーリ著『A.T.S.~The Italian Team That Challenged Ferrari』など証言を拾って結構なディテールまで詳らかにする資料がいくつか出てきました。ならば心ゆくまでFMOで『優速のミトコンドリア』のひとつの章として書いてみようと思ったのでした。今のところ、この序の段と、昇龍の段、画龍の段、堕龍の段と、4つのパートにわけて書いていくつもりですが、おれのことなのでもう少し増えたりするかもしれません。

 あまり古い濃い話が続いてもナンですので、間に色々な書き物を挟みながらお送りしようと思っております。しっかし、血逆上せたBBAにコーラぶっかけられたら、おれだったらキャブクリーナーか不凍液かなんかぶっかけ返して、ケツまくって辞表を叩きつけるだろうなあ。きっとイタリア自動車界から消されるだろうけど構わず。


■優速のミトコンドリア・イヴ~第三章「赤龍伝~昇龍の段」 FMO-434  2023.11.30.

 

 さて、この「赤龍伝」を書くのに参考になったのが、先号でも挙げたMchael John Lazzari著『A.T.S.~The Italian Team That Challenged Ferrari』です。なんですが、自分も買って読もうという皆さんには諸手を挙げてのお薦めはしがたいのです。

 著者のラザーリはボローニャ生まれでスポーツ紙『ガゼッタ・デル・スポルト』の記者だったひと。だから原典はイタリア語のようです。それを英訳したバージョンをおれは買ったのですが、いやもう翻訳がひでえ。刊行は2012年なんですが、その時点での翻訳ソフトにぶち込んで校正や手直しをせずに出しちまったんじゃないかと思うくらい。なにしろS+V+O+Cとかの基本構文がすでに崩壊している。関係代名詞が出てくると混乱するくらいなら慣れてますが、主語がどれか分からんとか二つあるとか。イタリア語版を持ってる小野光洋さんは何も言ってなかったので、英訳がタコ助なだけでしょう。こんなことならイタリア語版をデジタルブックで出してくれ。現在のAI翻訳はかなりマトモに使えるので。初めて視る写真がたくさん載ってるので、それ目当てならいいのかもしれませんが、印刷はモノクロで網線も粗いです。


■優速のミトコンドリア・イヴ~第三章「赤龍伝~胎龍の段」 FMO-442  2024.02.11.

□静かなる俊英

□地縁人縁

□ATSの蛟龍ティーポ100F1

□ふたつめの綻び

□龍のお披露目

 

 『スーパーカー誕生』の中で思いが残った章があるとすれば「1962年の3台」と題した中のATSの項でした。実はもっと書きたかったのですが、あそこは序章でして、ATSだけ長く書いてしまうと全体のバランスがおかしくなるので、涙を飲んで短くまとめたのでした。

 とはいいつつ、あの初稿をまとめていた20年ほど前には、ATSに関する資料は日本にほとんどなくて、またインターネット上の情報も疎ら。仮に文字量が許しても、さほど内容の厚い記事にはならなかったようにも思います。

 ですが、その後、高原書店でRoad&Trackのバックナンバーに記事があるのを見つけたり、Michael John Lazzariの著書が出版されたりして情報が掘り出され、またネット上でヴォルピ伯やパティーニョに関しても渉猟できるようになって、おれのATSを書きたい欲はどんどん上がっていったのでした。今号でお送りしたATS赤龍伝の第三弾は『優速のミトコンドリア・イヴ』という不定期連載のひとつの章ではあるのですが、この際バランス云々には目を瞑って書けるだけ書こうと心を決めて取り掛かりました。あと2回くらいかかるかも。

 『優速のミトコンドリア・イヴ』は、半世紀以上も前の昔話ですし、扱ってる主題がメジャー級やスター級とは言えないので、読みにくいと感じてる会員さんもおらりょうかと存じます。ですが、ここで記そうとしている内容は、たぶん日本では文字になっていない書き物もののはずで、昔話に詳しい方にとっては自動車史のミッシングリンクのようなものだったりするので、何としてもそこを文章として残しておきたい的なモチベーションで気持ちを焚きつけて書いております。

 実はこの『優速のミトコンドリア・イヴ』は一種の群像劇として書いています。出てくる名前のひとりひとりは知らずとも、最後まで読み切ったときに、ああそういう無名のひとたちがそれぞれ優れた仕事をして歴史を作っていったのだなあと、ぼんやり全体像で感じて頂ければ、おれとしては十分に本望なのです。今は読み流しでも構いませんので目を通してくださったら嬉しいです。